Forsythe


特別に自分の中でルールがある訳ではないけれど
熱いダンスへの思いや、ダンス論、自分なりの公演の解釈
そういうものを書くのは自然と避けている節がある
けれど、今回はただのファンの戯れ言という事で・・・
いつもと内容の雰囲気が違うかもしれないが、そこは勘弁


フォーサイスカンパニーの『study #3』を見て来た。今回は過去の作品の中にあったセクションがまた使われていて、舞台自体が傾斜舞台に設定されていて、そんな中での新しいリサーチ的な?まあ、そんな事を考えてみた所で本当の意図は分からないけれど、ヴィースバーデンに住み始めて以来、見てきた作品で見たことあるシーンが違う形で目の前にまた現れるのは見ていてとても興味深かった。素晴らしいダンサー達だから単純に動きのボキャブラリーやキャパシティーに圧倒される所を、ただ圧倒されないで何かを見つけたいと思うのだけど、考えた所で自分の脳みそはそこまでついてゆけないので、やっぱりただ圧倒されれば良かったといつも思う。それだけたくさんの情報を与えられて、見ている間も、帰路でも見たものの事で頭がいっぱいになる。毎回ただ思う「フォーサイスさんって凄いなぁ」と。ただこうして一言でまとめると、悲しいくらいに月並みで陳腐に聞こえるが、本当にこの一言に尽きると思う。
現在28歳の私がまだ14・15歳だった頃、フォーサイスは新しいバレエを作った振付家という有名人として既に定着していた。親が毎月ダンスマガジンを買い与えていてくれて、『In the middle somewhat elevated』やら『Steptext』やら『Herman Schmerman』やら、特にギエムが踊っている写真などが主に載っていたのを目にしていた。当時バレエ少女の私もそのカッコいい写真に惚れ込んでいて、あまり文章の方は読んでいなかったが、ウィリアム・フォーサイスという人がドイツのフランクフルトバレエの芸術監督という情報だけは抑えていた。ヨーロッパにはクラシックバレエじゃないバレエを作る人がいるんだ、という最初の興味であった。読んでいないので勝手にドイツ人だと思い込み、アメリカ人だと気付いたのは相当後の事である。ちなみに、当時のダンスマガジンからの記憶では、今では大好きなイリ・キリアン作品は暗いモダンダンスという位置づけを恐れ多くも勝手にしていた当時の私である。というのも、キリアン作品は何故かいつもカラーページではなく白黒写真で、女性は長袖ワンピースで、男性は白シャツと黒ズボンで何だか物悲しい印象が多かった。それに比べてフォーサイスは限りなくシンプルなボディースーツでシャープな印象で、剥き出しの照明や舞台の壁で、正にカッコいいという印象だった。バレエが好きなバレエ少女ではあったものの、基本的にあまりキラキラと明るいものが好きではなく、ニコニコと踊るのもあまり好きではなかったから、そんなものを一切はしょった舞台が存在する事に感動。どちらかと言うとネクラだが、物悲しい(印象・想像)が好きかと言うと、出来れば感情をもはしょって、ただ身体能力・運動のみでバレエが好きだったから、だから勝手に「これだ」と思ったのだろうと、今になって思う。
そんなダンスマガジンやビデオからの情報のみだった所、初めて受けたヤン・ヌイッツのセミナーにて、フォーサイスレパートリーのクラスを受ける。当時17歳、バレエ学校の入学試験に失敗して以来、ようやく違う形で留学出来る道を模索している時に受けたセミナーだ。初のセミナー受講でレパートリーがフォーサイスだったのも運が良かった。かの有名な『In the middle...』の振付を習い、何故かこの時は舞台でのショーケース的なものもあり、どんな形であれパフォーマンスがあると言う事でレパートリークラスもまるでリハーサルの様でみんな熱が入っていた。私も超絶に熱が入っていた。初めて踊っていて楽しいと思ったのが、恐れ多くもこの作品であった。というのも、ずっとバレエをやっていて、バレエ留学を目標としつつも自信もテクニックもなく、なのに、親が買ってくれたビデオや連れて行ってくれた公演で良いものを見ていて、自分が到底こういうバレエを踊れる気がしなかった。考えたらバレエよりも更にテクニックを要する振付だと思うけれど、でも何故かこのバレエベースの振付が踊り易く感じて、しかも自分なりの試行錯誤で振付を消化して違う形に自分に合う様に作っていける様な気すらした。以降、私のバレエ留学という目標は、ヨーロッパのバレエ学校を出ればこういう振付家がいるヨーロッパのカンパニーで仕事する事が出来るかもしれないから、やっぱりまず留学はしておこう、という目標に変わった。
紆余曲折を経て、カンヌのロゼラハイタワーへ無事留学。留学と言いつつも、ユースカンパニーとしての活動が多く、私もその公演に参加できていた。年齢的にはもう18歳になっていたので、バレエ学校に行っていたら最終学年の年齢。最終学年に編入となると教育課程はほぼ修了していて卒業試験の準備や就職試験が主ですと断ってきた学校もあったくらいの年齢なので、結果どこかのバレエ学校よりもこのユースカンパニーに入れて良かったのだが、本当にバレエ教育を受けると言うよりは、今まで出来なかった舞台経験の機会をもらったという感じだった。留学生としては、お世辞にも勤勉な学生ではなかった。それはさておき、留学生活が始まってすぐの冬にカンヌのダンスフェスティバルがあった。フランクフルトバレエも来た。ようやくヨーロッパに来てこんなに直ぐに生で見れるなんてラッキーだった。私が留学したのが2002年なので、作られてから1・2年程経った『One Flat Thing, reproduced』が一番新しい作品だった。他に『Duo』と『N.N.N.N.』であったと思う。『Duo』はダンスマガジンやビデオで見たものを彷彿させる似たスタイルで、ただソックスであった。「ああ、もうトウシューズも履かないんだ」と思ったくらいであった。『N.N.N.N.』は男性ダンサー4人で振付なのか即興なのか分からない、でも、振付じゃなかったらこんなに息が合って絶妙なタイミングでそれぞれ動けないだろ、という様な驚きの作品だった。今では映像で有名な『One Flat Thing...』はただただ圧巻だった。大勢のダンサーがガーッとテーブルを引っ張って舞台に現れ、それぞれが機敏に緻密にテーブルの上やらしたやらで一斉に動いていく。公演が終わった後「ああ・・・フォーサイスの今はこうなんだ。2002年だもんな。あ、これ2000年の作品なんだ、2年も前にこんなものを作ってるんだ、じゃあ今はきっともっと先に進んでるんだ」ただただそう思った。
以来、2008年までフォーサイスの公演を見る機会はなかった。カンヌ留学中のオーディション活動も空しく、カンヌ修了後はヨーロッパに残る為にロッテルダムのダンスアカデミーに転校。そこで1年を過ごし、マウロに拾われてアテルバレットに入団。3年の間にキリアン作品を見る機会も増え、ロッテルダムにいた間はNDTを見る機会も多かったのでキリアンの振付にも感銘を受け、フォーサイスのもはや振付ではない次元に追い付く間もなく、とりあえずようやくなれたプロダンサーとしての日々を過ごしていた。そんなアテルバレット在籍中にレッジョ・エミリアフォーサイス、キリアン、エック、ノイマイヤーが集結したガラがあり、そこで久し振りに見たが、既に見た事があった『Duo』であり、このガラの印象はマッツ・エックの『Aluminium』であった。キリアンの『27'52"』もすごく良かった。
このガラで改めて『Duo』を見て、今のフォーサイスはどんななのだろうと、ドイツツアー中のオフの日にフランクフルトへ行き、初めて本拠地のボッケンハイマー・デポで『Heterotopia』を観劇。面白かった。ふたつに区切られたそれぞれの空間で起こるハプニング。片方の部屋から聞こえて来るものに応えて動く。もう片方の部屋はもはや観客席すらなく、四方八方のどこから見ても良いスタイル。自分が動いて見たい位置から見れる。あらまあ、もう舞台と客席という形でもない、というか、劇場自体も劇場じゃなくて元倉庫の空間。見ていなかった数年間にまた進んでいる。日程的に見れなくて残念だったけれど、この作品は『Angolonegro』という作品と対になっているらしい。しかも驚く事に、かつてのセミナーで『In the middle...』を教えていたアンデールさんが公演後に急に「昔教えた事あるよね?ヨーロッパで踊ってるの?」と話しかけてきた。話しかけてみようかと思ったけれど、覚えてないだろうと思っていた所、踊っている間に客席に見かけたから後で話しかけてみようと思ってくれたそうだ。なんて記憶力。しかも薄暗い大勢の観客の中から。きっとこういう脳みそだからフォーサイスが踊れるんだと、また勝手に感動。
そんな翌年、アテルバレットを離れ、ヴィースバーデンの州立劇場へ移籍。シュテファンと仕事がしたくてのヴィースバーデンへの引越しだったけれども、フランクフルトが近い、フォーサイスの新作を毎回見れる、という副産物。以来、見れる限り公演を観劇。『I don't believe in outer space』『Theatrical Arsenal』『THE DEFENDERS』『YES, WE CAN'T』そして今年の頭に再び『Heterotopia』を見て、今回の『Study #3』、この3年と少しの間に見れるだけ見てきた。最近よく、もう出尽くしたとか、どこかでもう見たとか聞くけれど、フォーサイスは常に新しい試みをし続けている気がする。常に変化して、進化している気がする。限りがない。即興の部分が多いから常に違って見えるという訳じゃないと思う。だって、彼らの即興はコンセプトとタスクという構成の中にあるメカニズムに沿った即興であって、何でもかんでも自由に超人的な動きを繰り出している訳ではないんだもの。その基盤と枠を作るのはフォーサイスであって、そのアイディアが限りない。頭の中を覗いてみたい。でも、彼の本に数学が得意だったと書いてあった。私は数学が一番どの教科よりも悪かった。けれど、どんなに計算され尽くされていても、脱構築だとか言っていても、やっぱりダンスだよね、とも思うけれど、やっぱりもうダンスというよりは、恐ろしく頭脳明晰で己の可動範囲と空間を網羅した動く物体の動き。やっぱダンスじゃないのかな。だから一緒に見に行った何人かは「うん、本当にすごいけど・・・、でも・・・う〜ん」って言うのかな。それがいつか解りたいから、解せないものが目の前で踊っているからまた見たいと思う。私の同行者は毎回変わるけれど、私はひとりでも見に行く。でも、やっぱり見た後にこうして語り合いたいから誰かと見に行くのは好きです。島地さん、いつもチケットをありがとうございます。
現在、私の人生の中で一番フォーサイスが近いとこにいるのに(地理的に)クラスを受けて見学をしたこともない。ダンサーの皆様は来ても大丈夫だよと言ってくれるけれど、やっぱり敷居が高過ぎる。私なんかが・・・と思うのだが、だから、私なんかが混ざった所でどうってことないだろうとも思う。今の目標は、ヴィースバーデンにいる内のいつかに一度は見学に行く事。リハーサルを見てみたいな。でも、完全にただのファンなので、やっぱりちょっとやそっとの勇気じゃ訪ねる気になれないのだ。
たくさんの種類があるコンテポラリーダンスの中で、ネオクラシックだ、タンツテアターだ、モダンダンスだ、とカテゴリーがあるけれど、フォーサイスはそういうどれかには属さないフォーサイスというカテゴライズしか出来ないと思う。


これは私の過去から現在に沿ったただのフォーサイスへの思い
あえて題名を付けるなら、フォーサイスと私
うん、ただのファンレター