pensiero, emozione e sensazione

先週『Dornröschen』のBキャスト初演が30日に決定と伝えられ
自分達のリハーサルが組まれている毎日
こんな事を言うのもなんだけど
クリエーションの時も同じ空間に居たはずなのに
知らなかった事、もしくは聞き逃していた事
同じ様に受け止めていなかった事
そういうものの多さを改めて気付かされる
恥ずかしいけれど、そういうものが本当に多い
けれど、だからこそ今こうしてリハーサルがあるわけで
本番まで残り時間も少ないけれど
たくさんを理解して、吸収していきたい
そういうたくさんのものを自分の中で消化して
私の中から自身のものとして出せる様にしていきたい


少し話は遡るけれど
初演前の舞台稽古続きの週
オケ付きのリハをBキャストでやった時の事
その前日まではAキャストで舞台稽古が行われていて
スタジオでの通し稽古もそうだ
もちろん空いたスペースで動く事は出来るけれど
照明や衣装を付けての段階までいった舞台稽古では
流石にAキャストの後ろで動く事は出来ない
そんなふうにあまり踊っていなかったところに
急に広いスペースを与えられて
それにも戸惑ったけれど、それ以上に
通し稽古をした事が一度も無いままオケ付き舞台稽古
それはもう、ぶっつけ本番みたいな心持ちで
それでもやるしかないし
何もその日になって突然言われたわけじゃない
リハーサルを充分にしていなかった事も
通しでやった事がなかったのも事実だけど
それでもこの日に通しでやる事は聞いていたのだから
ある種の覚悟は決めて臨んだ
振付自体はそれなりに出来ていたのだろうけど
感情表現や表情、身振り手振りなどは
まだ理解し切れていなかったり
身体に入っていなかったり
きっと薄っぺらかったとは思うけれど
でも、何とか通し切る事は出来た


入り込もうと思っても
入り込めていない自分がいて
きっと笑顔も本当に作り笑いだったと思う
力づくで笑っている様な状態で、終いには頬が痙攣した
中途半端なその様を感じて余計に顔が引き攣った
けれど、そう感じていた直後に生まれて初めての経験をした
・・・涙が出た
今までAterballetto時代に踊りながら泣いてた事はあるけれど
理由は、同僚の誰かの最後の公演だったり
自分自身が最後にその作品を踊るっていう公演だったり
そういう悲しさからの涙だった
今回は踊りの中でと言うより、演技の中でと言うか
シーンも音楽もすごく劇的なところで
もがいて、打ち拉がれているところだった
側に駆け寄りたいのに、思った様に身体が動かない
邪魔もされていて近付けない
このまま失ってしまうんじゃないかという恐怖
そんな心境のシーン
周りの一人一人が演技をしていて
みんながそういう状況を作り上げてる
だからか、自分でも意外に自然とそういう気持ちになれた
胸が締め付けられて、胃がえぐられる様だった
しかも、初めての広い空間で、オーケストラ付きで
そんな緊張と興奮の中で踊り続けてきて
身体的にも精神的にもピークの頃合いでもあったと思う
投げ出せたらどんなに楽かって気持ちもあったのかもしれない
でも、同時にそこにいる相手を本気で憎んだし
その状況が怖くもなった
きっと色々なものが混じり合っていた
ポロポロと涙が出てきて、止まらなかった
その後、パートナーが近づいて来て肩を抱き寄せる
そういう振付なだけと言ってしまったらそうなのだけど
肩を引き寄せられた瞬間に本当に泣き出した
自分でも驚く程、本当に悲しくて怖くて涙が止まらなくて
抱き寄せてくれた事で、心から安堵を感じたみたいで
まさに堰を切った様に泣いた


初めての感覚だった
肩を抱かれたまま舞台から袖に捌けて
そのままトイレに直行した
また少しだけ泣きじゃくってから泣き止んだ
まだ鳥肌は立ったままだった
そんなふうになった自分というのが新たな発見で
そんな自分の中での初めての出来事に感動もしてしまった
この感覚を忘れないでおこうと思った


違う振付家の元で踊る事で新たな経験をと言うのが
移籍を決意した一番の理由だし
実際、日々新たな経験をしているけれど
きっと踊り以上に、こういう部分が私を成長させるのかも
もっと自分の感情に対して素直になるべきなのかも
表現としての感情は容易に作り出せない
如何に自分の気持ちと表現を連結させていくかと言う事が
ここで学んでいくものなのかもしれないと思った
作り物ではない感情を表現する
それはとても難しい事だろうけど
自分自身のどんな感情も大切に記憶しようと思った


リハーサルの最中にアシスタントが
「嬉しい事を思い出せば良い
例えば、久々に日本で会う家族の事とか・・・」
そう言われて、まず家族に対しての態度を反省したけれど
私の実際にする態度がどうであれ
家族に久々に会える時は私だって嬉しい
そういう思いを引き出しに入れておいて連結させるんだ
ついこの前、旅行に出る前に電話で話した時
飛行機のキャンセルとか諸々で苛ついていた私は悪態をついた
電車の旅とは言え、無事帰ってきた事を報告する為に
家に帰ってきた翌日に電話で話した
先日の電話ではお互い熱り立っていたけれど
この日は穏やかに和やかに話せた
それが何とも言いがたい安堵をくれて
電話を切った途端に涙が出た
こういう気持ちや感覚を大事に覚えておくべきなんだ


私も私なりの波瀾万丈な人生を送ってる
常に色んな出来事が起こって
傍から見たら取るに足らない事かもしれないけれど
そんな色んな出来事に一喜一憂して過ごしている
それぞれに大なり小なり意味があるから起こる出来事で
だから、私の気持ちも様々に湧き出てくる
それを大切にしていかなくては・・・
この数ヶ月もそんな色々な出来事が起こって
私の感情は絶えず移り変わる
そんな自分に嫌気も差す事もあれば
そういう風に思える自分が良いと思える時もある
余計に色々な事を考えるし
考えるから余計に分からなくもなってくる
色んな感情や考えがせめぎ合っていて
忙しくて疲れてもくるけれど
それが自分自身なんだとも思える
けれど、何が本当の自分なのかも分からなくなる
今までと少し違ってきてしまった様な
それか、今はこうのか
こうなっていく流れだったのか・・・


先日の旅で昔懐かしい街へ行って
元同僚の親友と過ごして
彼女と踊りや仕事の話をしていた時に
「前のkihaと違うみたい・・・そんな一面知らなかった」
と言われ、そうかなぁ、と答えた
昔からこういう部分はあったんだと思うよ、とか
前の場所ではこういう面を出す場面がなかったのかも、とか
むしろ、本当はこうしたいのに出来ない状態だったのかも、とか
答えていて一体どれが実際なのか分からなくなった
でも、それが普通の事かもしれない
それが変わっていっているという事なのかもしれない
数年前に違う友達から
「相変わらずさ、と言うのは自分自身で他人は変わったと言う
変わり続けるkihaは相変わらずさ」と言われた事がある
これが事実と言うか、一番ピッタリくると思う


だから今、色々な出来事を通して
色々な感情を持つ事はきっと普通の事なんだ
今の私が特別に負の感情に捕われているとかではない
きっとただ仕方の無い事なんだ
そういう事で今まで違う態度をしたり
考えが浮かんだり、気持ちが生まれたとしても
私が変わったわけでも何でもない
ただ今の私はこうなんだ
常に相反する気持ちや考えが交互に現れて
それに翻弄されたとしても、それは正常な事で
きっとその全てが私をより豊かにしていってくれる
表現の中で初めて涙した様に
そんな新しい感覚は常に私の中で生まれて
そして、根本は変わっていない様で変わり続けていくんだ
それが今を生きているって事で
踊りにも、人生にも、仕事にも影響していく
ただ素直に受け入れていけば良いんだ
矛盾する様々なものは生きているものの特権なんだ


今だって、これからどうなっていくのか
うまくいくのか、ダメになるのか、考えたら怖い
怖くなるって気持ちは普通の事なんだ
ただ意味もなく怖がってばかりにならない様に
その瞬間に出来る事をして、気持ちの赴くままに行けば良い
今度の初演がうまくいくかどうかだって
今考えていてもどうしようもない
なる様にしかならないし
なる様になる為に頑張っていく
努力は惜しまない
常に精一杯やっているのは、それこそ相変わらずだ


I am ready to accept you
For who you are
Not I want you to be


ここ数ヶ月のお気に入りのフレーズだったけれど
ただ気に入っていただけで
自分自身に対してとかは考えていなかった
きっとこれが今の自分にちょうど良いフレーズだろうな


長くなり過ぎて文もまとまっていないし
途中から話題も突然変わってるし
無意味に反復も多いけれど
でも、どれも何か同じもので繋がってる気がする
たまには思ったままに書く文章も悪くない
そうやって少しずつ整理される
どれも大切な事だから